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ノウハウ本、ビジネス本の類いを数百と読むと、何を書いてあってもたいていは他の何かで読んだことのある内容になる。そんなこともあり、もっぱら読書は歴史小説。これがまた、何を読んでも面白い。何百年も前の人間も、いまと同じことで悩んでいる。つまりいまの人間の悩みは、もうとうの昔に他の誰かが味わい、時に乗り越え、時にそれに負けてきたのである。

ところで実家の和室には掛け軸があり、「誠」の人文字が書かれている。好きな人にはすぐわかる、新撰組の文字。

母方の祖父は多摩の土方姓であり、祖父は若い頃から剣道の達人で、戦時中には満州で陸軍の指揮を取った。土方歳三に子はおらず、その家系図からわずかにその証の残る人間が、日野で生家を守っている。

関東大震災の日、祖父は、両親から竹やぶに逃げろといわれたそうな。竹は強く、また縦に割らない限りは燃えにくい。土方歳三が子供の頃に植えたという竹はまだ残っていて、観光地になっている。

祖父はいつも柔和で優しいが、人間関係についてだけ怒られたことがある。目上の人を敬え、礼を尽くせ。たったこれだけ。唯一怒られたことがそれで、いまもそれを自分の規律として破ることはない。たとえば仲の良くなった先輩に敬語を省くということも、どうにも苦手でできない。規律に厳しく、親友に切腹を命じた歳三の頭の固さだけは継いだ気がする。決定的に違うのは、自分は自分に甘い。

百年前の家系図というのは眉唾で、どのようにも書き換えることができる。でも、自分は土方歳三の血を引く、多摩の百姓の家に育ったことは確信を持っている。撮影場所も定かではない歳三の写真によく似ている親せきがいる、祖父にも、祖父の父という人の写真も歳三の面影がある。

二十代前半、自分に何の自信もなくなって、逃げるようにして函館に出かけたことがある。そこで見た函館山からの景色や、港の刺すような冷たい風。そして五稜郭。函館に出かける前にはまったく意識になかった、百年前の土方の系譜を思い出した。

当時、感傷的になったわけではなく、ただ何かを探すように函館の街を一日中歩いた。間違いなく、自分には歳三の血が流れている。多摩の土方姓は、同じ思いの人が多いのかもしれない。なぜあの時、自分が函館に行ったのか、その縁がよくわからない。

よく小説では、歳三は死に場所を探していたというが、断じて違う。そんなロマンティストではなく、本当にあの土地に新しい国を作り、自らの志を遂げようとしたのだ。そこには冷静な計算と判断、また思想があり、それを貫いただけだった。新政府に降伏することは近藤勇に申し訳が立たないとは確かに言ったようだが、それは自分が自分らしくあることで近藤が自分の中に生き続けることであり、降伏は即ち自分の中に生きていた近藤を殺すに等しいことだったんだろう。

志と思想があり、それに殉じた生き方ができることこそ本懐。怠惰な自分を顧みる…。






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ルーティン


試合の日の決めごと、みたいなものが誰しもあると思う。

とあるプロ野球のピッチャーは、本拠地の試合の前は同じ店のうどんばかり食べていたとか。

先人を倣うわけではないのだけども、ここ数年ルーティンがある。

起きるだいたいの時間と、飲むもの食べるもの。

何か意味があるというより、意味がないことを淡々とするほうがいい。考えるのが面倒で決めておいたほうがいい。

試合の日は基本的にあまり水分をとらず、炭水化物も食べない。

いまはセブンのPB商品であるブラックコーヒーとシュークリーム。たまにウイダーインゼリー。これだけ。

もう他を考えるのが面倒くさい。電車を間違えるのが怖いので、そこだけに神経を注ぐ。

抜け番中に何かを食べにいくことがたまーーーにあるが、これも決めていてソバか、やはり何か甘いものを買う。

極限状態で選択を強いられるゲーム。それ以外はできるだけ何も考えず、決めておいたことを淡々とやるのがいいんですわ。

そういえば試合の合間に、うちの江原くんは同じチョコばっかりかじってるんだけど、あれも彼なりのルーティンなんかなあ。



麻雀ランキング

気が狂うほど楽しい


麻雀を通じてではないと、絶対に交わることのない人生だったな。そんなことをいつも思う。

いま、同じリーグで打っている選手たち。誰もが麻雀以外の接点がないし、仕事も違えば趣味が似ているわけでもない。麻雀がつないでくれた縁である。良くも悪くも。

次のリーグ戦、敬称略で山下、半田、北島、嶋崎という5人打ちらしい。

業界的に知られているのは、日本オープン2年連続決勝進出、最初の決勝では見事に優勝を果たした北島さん。北島さんを僕は大好きで、いつも試合中に卓が違ってもよく話す。RMUでは年長であり、北島さんは僕の他にあまり親しく話している人が少ないと思う。

北島さんはいつも明るくて、麻雀が大好きで、経営者でもありいつも忙しそうにしている。「俺には競技麻雀の難しいことはわかんねえから、街場でやってきたことを自分らしくやるだけなんだよ」なんてことをいっていた。

電話で話すこともあった。麻雀の話なんてしたことがないけど、麻雀が好きで、試合を大事に考えていて、そのために仕事をやりくりしている様子は強く伝わってくる。

社会人になると学生時代の友達なんてほとんど縁が切れて、いまの人脈だけが頼りになる。気がつけば連絡を取る仲間なんて麻雀関係か仕事関係しかいない。

勝負の世界に甘いって思われるかもしれないが、彼らはみんな大事な仲間で、ときには麻雀も忘れていろいろお互いの人生を話してみたい、なんて思わせる人たちなのです。どうせ、麻雀の話ばかりしてしまうのですが。

みんながどれくらい麻雀を好きで、そのためにいろんなことを犠牲にしているか、知っているからこそ、リーグ戦より貴重な時間が自分にはない。1億円の商談があってもリーグ戦があるなら麻雀を打つ(嘘)。

それくらいリーグ戦ていうのは大事で、たった一つのアガリが人生を変えるし、また人生を楽しく、価値のあるものにしてくれるのです。



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今週末はリーグ戦


勉強会で恩師にかなりいろんな指摘を受け、何年も同じ指摘を受ける自分に失望し、しこたま落ち込んだうえで一日過ぎてまた復習する。

脳科学的にも医学的にも、「自分を責めすぎる反省は百害あって一理無し」ということがわかっているそうな。

それでも麻雀打ちたるもの、悪い内容には自分を責めてしまう。

なぜか? 麻雀はなんとなく打っていても勝つ日はあるし、ミスが視える化しにくいゲームだから。

はっきりと悪いと思ったことについては、誰かがとがめてくれない以上、自分で自分を律したり、それこそ責めたりするしかない。

内容がいいと思っているのに、いい結果が出ない。もしそんなことを思うことがあるとすれば、それはそもそも前提が間違っていて、内容はよくない。

恩師の教えはまだ自分レベルに対してはシンプルで、同じことしか習っていない。それができないことが本当に自分に対して腹立たしい。

昔、塾の講師をやっていた。僕はそれほど教育に熱いほうではなかったので、生徒に怒ることはなかった。けど、試験後に、点数が取れない自分に悲しくなって、泣き出す生徒は何人もいた。

できない生徒はなぜ泣くか? まあ泣くか泣かないかはただの感情表現なので、ここでは「なぜ感情が高ぶってしまうか?」という話になるのだけども、そうなるのは「自分が自分に期待しているから」に他ならない。

自分がいまよりもっとできる、もっと成長できる、もっと結果が出る存在であると信じているからこそ、そのギャップ、イメージの自分との乖離を感じて、感情が高ぶる。

できなくて自分を責める、落ち込む、人によっては泣き出す。実はそれはネガティブな時間に見えて、何よりもポジティブなのだ。できない生徒は泣くことはないし、悪い点数にも飄々としている。自分はもっとできる、だからこそ悪い内容に感情を高ぶらせる。これはもう、究極のポジティブなのですね。

週末、リーグ戦。結果を求めず内容を、という言葉に反発する人も多いけども、麻雀は自分にとって単発のビジネスじゃない。ビジネスでもない。好きな飯くらい好きに食わせろ。楽しく内容を求めて、ていねいに打ちたいと思います。



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また来年ね、っていう年中行事。


僕が働いていた麻雀店の常連は競馬もパチンコも好きだったが、身内でいろんなことを賭けていた。暇つぶしの手段を探し尽くしてもまだ足りないギャンブラーの対象は幅広い。相撲、野球は当然として、明日の天気までがそれになるという。そして今日もまた、丁半博打そのもののブックが行なわれたことは想像に難くないがそれは後半で。ちなみにブックメーカーのブックは賭け事の内容等を書く台帳から来ているそうで。


今日も今日とて体調が変わらず悪くて、何かを考えようとしても油の通っていない自転車のように異音が頭に混じる。仕事でコンテンツやコピーを書いていて、いつもならさらさら進むところでふいに止まってしまう。まるでたった一つの慣用句を使うのに毎度のように辞書を引いているようだ。こういうときは部屋の掃除がいい。でも、誕生日の日に何がしかの決意をする自分の年中行事のおかげで、そしてそれはだいたいが「部屋をきれいに保つ」という小学2年生がママにいわれてやるようなことであるおかげで、いまのところオフィスは死体安置所のように清潔だ。

仕事を終えて直帰する。道すがら思うのは、商用以外で誰にも会うことなく、街に繰り出すこともなく過ごしていると、街を客観的に見ることができるということ。ハロウィンというこじつけた理由など池袋には必要ない。昼間は勤め人が、夕方を過ぎればビルから吐き出された大量のこれまた勤め人と学生が居酒屋にカラオケにと吸い込まれる。そういう喧噪を間近で見ているだけの自分は何かから取り除かれた異物のように思える。


やれやれ、そう心の中で呟いて、僕は明日の予定をGoogleカレンダーで確認する。実はそんな必要がないくらいそれほど用事はないけれども、いつものように確認する。いまは花粉症と気温差アレルギーの季節の最中で、僕にとっても、もう何度目かもわからない季節だが、今年の池袋も誰もがそんな体調不良などどこ吹く風。いつもと同じスーツで、いつもと同じく連休イブイブの夜半を楽しんでいる。そして自分はというと、帰宅後は家内と何気ない話をしながらバラエティーを見た。

なんでこんな書き方をしているかというと、もちろん村上春樹はノーベル文学賞はまたお預けとなったから。

大学では近現代文学を専攻していて、村上作品は大学時代にゼミで取り上げられていたから、半ば強制されていくつかの作品を読んだ。主に短いものばかり。ノルウェイはまったく自分の頭に入ってこないシナリオだったけれど、彼が時代を切り取っていて、その中でチャンドラーの影響を強く受けていて、それを日本語であれまで表現できる作家がいたという発見の意味で学びにはなった。きっと自分の感受性は人に比べて鈍いのだろう。どうも頭のいい人が書く文章はすんなり頭に入って来ないし、誰かの書評も同じでイタリア語やスペイン語のように聞こえる。

こんなことをいったらハルキスト(誰がつけたんだろう、そしてそう呼ばれることを彼らはどう思うんだろう)にお叱りを受けるかもしれないが何度読んでも結末を忘れてしまう。その理由は自分の中ではしっくり来るものが見つかっていて、主人公に変化がないのだ。

やれやれ系主人公のさきがけである青年は、いくつかの出来事と出会いと別れを経て、結局最初の彼に戻っている気がする。小説の技法のイロハのイは主人公に何がしかの変化を起こすことだ。それがこの小説にはなかった(小説のいいところ。それは感想を好きに書いても、答えはないためになんとでもいえるところなので、これくらいの感想は許してほしい)。つまるところ自分に読解力がなかった。勧善懲悪、敵と味方、恋愛に失恋、勝った負けたの物語が好きなんでしょう。よく邦画になるような作家の単純な、少し謎のあるミステリー風味の物語とか。ちなみにチャンドラーの原作はミステリーとしては稚拙で、いろんなところに回収し忘れた伏線があったり、設定もほころびがあったりというのは有名な話。彼の価値は「ウィットに富んだ」というありきたりな表現を世に知らしめたはしりじゃないかというくらい「ウィットに富んだ」文体であり、また人物の心情の描き方なのだと思うのだけれどこの話はまたどこか別のところで。

ちなみに「ウィットに富んだ」という表現でググるといろんなものがでてきて面白いので、電車の中でヒマつぶしに検索してみてください。ボキャブラリーが増えるかもしれません。

閑話休題。学校の国語の試験などまるで意味のないものばかりで、「このときの作者の心情として近いものを選べ」みたいな4択(それも問題を作った教授の主観だらけの)を解くヒマがあれば好きな小説をもっと学生は読むべきである。さらにいえば、好きな小説を読み終えたら次に歴史の洗礼を受けた、古いものを読みあさるべきだ。読書は他人の人生を生きることに近しい(等しいといえるほど僕は人生に精通していないので近しいと書く)。


ずっと昔、僕の働いていた店の常連は、村上春樹の受賞となるかどうかでいつも賭け事をしていた。賭けていたのは次のビールを誰がおごるかとかそんなもの。一時の娯楽に供するものなので、笑って許してあげてほしい。どこのニュース番組を見てもやはり話題はノーベル賞なので、思ったことをつれづれなるままに。







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プロフィール

小林景悟

Author:小林景悟
RMUという競技プロ麻雀団体に所属しています。コピーライター、講師。

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